母の日はいつから祝うようになった?日本で定着したのは戦後

  • 2020年1月22日
  • 2020年1月23日
  • 年中行事
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楽しかったゴールデンウィークが終わったら、次に控えるイベントは母の日。やれカーネーションを贈れだの、いやいやお菓子を贈れ、だの、街中にあふれる母の日の広告に、花屋やお菓子屋の陰謀を感じるのは私だけでしょうか。

そもそも母の日はいつから日本で始まり、母の第二の誕生日的なイベントになったのか。

母の日は、大正時代に日本へ入ってきて、戦前から少しずつ知られるようになりました。完全に定着し、母親へカーネーションをプレゼントするようになったのは戦後になってからです。

母の日の元となるできごとがあったのは日本に入って来るより約10年前の1907年。アメリカの敬虔なキリスト教徒の女性が、亡くなった自分の母親へ感謝の意を表すために人々にカーネーションを配ったのが起こりと言われています。

またキリスト教…クリスマスといい、バレンタインといい、日本でお金が動くイベントって大体キリスト教に由来しているような気がします。日本人のみなさん、本当にそれは必要なプレゼントですか?と私は言いたい。でもくれる分にはもらいます。

ということで、本日は、母の日はいつから日本で祝うようになったのか?ということを見ていきたいと思います。

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日本では戦前に始まり、森永が広めた!カーネーションは戦後に定着

母の日が日本で初めて紹介されたのは大正時代

母の日が日本で初めて紹介されたのは大正時代。キリスト教会、日曜学校等で徐々に広がって行きました。

昭和初期には、日比谷公会堂で母の日大会が催され、日曜学校や子供会、小中女学校の生徒ら約5000名が、母への感謝を表して日比谷を行進するなど、母の日を祝したイベントが行われるようになりました。

新聞にも少しずつ取り上げられるようになり、昭和3年5月5日の朝日新聞では、母の日の趣旨を、親を敬うことであり、特に母の恩について感謝することだと紹介し、さらに具体的に何をすべきかも示しています。その内容は次の三か条。

一、当日は必ず母の安否を問ふこと(イ)近いところは親しく訪ね(ロ)遠いところは手紙で問ふ(ハ)いささかのものでも心を表はすため母へ贈物をする事

二、母もしいまさずば(母がもし既に亡くなっていて、いなければ)当日墓参すること

三、母の喜びたまふ善事を他人にすること

(昭和3年5月5日東京朝日新聞より引用)

…すばらしい。特に三。何だか母の日の真髄を見たって気がします。他もすべてちゃんと気持ちがこもってますよね。なんで、母への贈り物部分しか残らなかったのやら。

戦前に母の日を日本中に広めたのは森永製菓

こうして少しずつ日本国民に母の日は知られるところとなっていったのですが、その周知にさらに貢献したのはあの森永製菓です。

昭和12年には「ありがとう お母さん!」という文字とともに母の日に、20万人の母親を豊島園へ無料招待するという広告を新聞に掲載しています。それからも日比谷公会堂で、日本コロムビア協賛の「母を讃える会」というコンサートイベントを催したり、戦争が本格化する直前の昭和16年まで毎年、母の日イベントを開催しています。

女性解放運動により母の日を受け入れる空気が作られていた?

戦前の日本には家制度というものがあって、家父長(父親)が一番偉く、母親は家族の中でも一番低く位置づけられる存在でした。

大正時代には、その風潮にノー!と言い、女性の地位向上を求める女性解放運動が平塚らいてうらによって起こります。その影響もあって、お母さんへ感謝しようという母の日の思想を受け入れやすい空気があったのだろうと個人的には思います。もし母の日が始まったのが50年早くて、50年早く日本にやってきていたら、国民に広まるのにもっと時間がかかったのではないでしょうか。

カーネーションを贈り始めたのは戦後

太平洋戦争の本格化によって、母の日を祝うどころではなくなりましたが、戦後には再び5月の第2日曜日の母の日が復活します。

そして、カーネーションを母に贈ることが浸透してきたのも戦後。戦前には上で紹介したとおり、ただ母親へ感謝する日というだけで、カーネーションを贈るということはあまり知られていなかったようです。

終戦直後には、婦人団体の代表が、皇太后に国の母としてカーネーションの花束をお贈りした、という報道がありますが、一般庶民にそんな余裕はあるはずがなく。日本の復興が進み、人々に余裕が生まれるにつれて徐々に学校などを通じて広がって行ったようです。

ルーツはキリスト教の教え!カーネーションは聖母マリアの伝説から

では、そもそも母の日はどうやって生まれたのか?

キリスト教徒の女性が始めた

1907年(明治40年)5月9日日曜日、アメリカのウェストバージニア州のある教会では、ジャービス夫人という女性を偲ぶ会が行われていました。そこには白いカーネーションがたくさん飾られ、ジャービス夫人の娘で、当時43歳だったアンナ・ジャービスは参列者に白いカーネーションを配りました。

ジャービス夫人は生前、教会の日曜学校の先生をしており、特にモーセの十戒の中の「汝の父母を敬え」を取り上げ、「母の恩にどう報いるか考えなさい」と子供たちに伝えていました。その母の話を聞いていたアンナが、それに応え、母への感謝を表そうと考え着いたのが、カーネーションを贈ることでした。

この話をアメリカ発の百貨店経営者として有名なジョン・ワナメーカーが聞いて感銘をうけ、自分の経営するデパートで5月の第2日曜に母を讃えるイベントを行い、アンナのことをPRし始めました。

一方、アンナ自身は政界の有力者たちに「母に感謝する日を設けるべきだ」と手紙を送り続けました。その結果、ついにウィルソン大統領が1914年に5月の第二日曜を「母の日」とすることを提案し、連邦議会の議決により決まったのです。

カーネーションなのは母性愛の象徴

でも、アンナはなぜカーネーションを贈ったのか?別にバラでもあじさいでもよかったのでは?と思いますが、これはキリスト教の聖母マリアについての伝説によります。

キリストが十字架にかけられたとき、その下で見送った聖母マリアが一粒の涙を落とし、その涙のあとにカーネーションが生えたというのです。そこから、カーネーションは古くから母性愛の象徴とされているので、アンナもカーネーションを参列者に贈ることにしたのです。

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母の日はとにかくお母さんを思い、お母さんを敬う日!プレゼントは二の次だ?!

母の日は、大正時代に日本に伝わり、昭和初期に少しずつ知られ、本格的に日本で定着しカーネーションを贈ったりし始めたのは戦後でした。

そして、母の日の始まりは、アンナ・ジャービスという女性が、自分の母が生前にしていたモーセの十戒の中の一つ「汝の父母を敬え」についての話から、母への感謝を表すにはどうすべきかを自分なりに考え、それを実行したのが、母を思ってカーネーションを贈るという行動でした。

元をただせば、母の日は、母を敬うことが大切なのであって、キリスト教徒ではない日本人の私たちは、母に贈るのは別にカーネーションである必要はない。もっといえば、お母さんに感謝する心さえあれば、別に何かプレゼントを贈る必要もない。もしかしたら、昭和初期の新聞で紹介されていたように、お母さんが褒めてくれるだろうなって思うことを他人にやるだけでもいいかもしれない。ただ、お母さんを思い、お母さんを敬う。その心からやろうと自分が思いつくことを実行すること。これが母の日に本当に贈るべきプレゼントで、そのプレゼントは十人十色であってよいのです。

さあ今度の5月の第2日曜は何をしましょう。

私はたぶん今年もケーキを買います。普段は買わない高いやつ。お菓子屋の陰謀?いやいや自分も好きだけど何より母が好きだから…

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