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【伏見稲荷】神様の名前は宇迦之御魂大神|商売の神とされる理由とは

伏見稲荷といえば商売繁盛。毎年たくさんの人が参拝に訪れます。

でも商売繁盛のご利益を授けてくださる伏見稲荷の神様って?

伏見稲荷にお祭りされている主神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

ご神体は稲荷山です。

なぜ稲荷の神は商売繁盛のご利益をくださるのかその由来は、この稲荷山にあり、伏見稲荷神社の起こりにあるのです。

この記事では、伏見稲荷神社の起こりと、稲荷の神様について詳しく解説しています。

最後には、全国に三万社以上あるともいわれる稲荷神社のうち、各地の稲荷神社を一部ご紹介しています。

なかなか京都まで行けないという方はぜひ参考にして、お近くの稲荷神社に参ってみてくださいね。

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宇迦之御魂大神と伏見稲荷

伏見稲荷神社
所在地:京都府京都市伏見区深草藪之内町68
主祭神:宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
ご利益:商売繁盛、産業興隆、五穀豊穣

豊穣の神、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

伏見稲荷神社にお祭りされている主な神様は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

古事記において須佐之男命(すさのおのみこと)と、須佐之男命の二番目の妻、神大市比売(かみおおいちひめ)との間に生まれた子供で、女性の神様とされています。

宇迦(うか)とは、穀物や食物を指し、宇迦之御魂大神は穀物の神・食物の神とされています。

ご神体は稲荷山

実は伏見稲荷神社が宇迦之御魂大神を祭るとされたのは、長い歴史の中で、神道との習合が行われてからの話。

伏見稲荷神社の起こりには次のようなお話があって、ご神体は稲荷山なのです。

白鳥になった餅が稲穂を実らせた山

むかしむかし、秦伊侶具(はたのいろこ)という人物がいました。

周りの農民たちが一生懸命お米を作って、質素な暮らしをしているなか、秦氏は絹織物を作って大成功していました。

高価な絹織物を貴族に売っていましたので、一人だけそれはそれはぼろもうけでした。

そんなある日、調子にのった秦氏はふと思いつきます。

弓の的に餅を使えばどうだろう?

早速実行です。

狙いを定めて矢を射る秦氏。

矢は見事、的になった餅に命中。

「あっ!」

命中して喜ぶ間もなく、矢を射られた餅は白鳥になって飛び去ってしまったのです。

白鳥となった餅は、そのまま稲荷山の峰に降りていきました

慌てて秦氏が後を追っていきましたが、いくら探しても白鳥は見つかりません。

白鳥が降りたと思われるところには、代わりに稲が生えていました

「山城国風土記」には、この部分を「イネナリ(伊禰奈利)」と書いてあり、この「イネナリ」が「イナリ」になったと考えられています。

この様を見た秦氏は、大いに反省しました。
稲の魂ともいえる餅が自分の元を飛び去ってしまったことは、自分の元から富が去ることを連想させたからです(餅が飛び去ったことで、秦氏一族が死に絶え、土地も荒れ果てたとする文献もあります)。
自分の傲慢な行いを悔いた秦氏は、稲荷山の木を抜いて、持ち帰り、植え直してお祭りしました。
これが「験(しるし)の杉」の始まり。
後に、参拝者たちが持ち帰って植えて、根付けば吉、枯れてしまったら凶だとする占いにも使われたものです。
「験(しるし)の杉」は現在でも毎年2月に行われる初午大祭でもらうことができます。

稲荷の神は繁盛の神

神社の起源からもわかるように、伏見稲荷神社のご神体は、神社の後ろに鎮座する稲荷山です。

稲荷山の神様は絹織物で発展した秦氏が関わることから産業興隆にご利益があるとされています

また、稲が成るという稲作に関することから農業全般について五穀豊穣、ひいてはあらゆる商いの繁盛を司るとされ、多くの人々が参詣するようになりました。

そんな豊かさを象徴する稲荷山の神の性格と、同じく豊穣の神である宇迦之御魂大神がいつしか重ねられ、神様としてお祭りされるようになったのです。

お稲荷さんのキツネ

お稲荷さんと言えば、真っ先に思い浮かぶのはキツネ。

キツネが神様だと思っていた人も多いのではないでしょうか。

稲荷神社の神様は、稲荷山で宇迦之御魂大神。キツネではありません。キツネは神様のお使いです。

詳しくは下記の記事で解説していますので、ご参照ください。

伏見稲荷の狐が神様のお使いになったのはなぜ?そのストーリーを紹介

稲荷の神は近くにも?!全国の稲荷神社

全国に三万以上あると言われるお稲荷さん。

その総本社が伏見稲荷神社ですが、なかなか伏見稲荷まで行けないという方は、お近くのお稲荷さんに参ってみてはいかがでしょう。

主神を宇迦之御魂大神としている全国の稲荷神社の一部を以下に挙げてみました。ぜひご参照ください。

志和稲荷神社(岩手県紫波郡紫波町)

平安後期、前九年の駅に臨み、源頼義・義家父子が戦勝を祈願して社殿を再興。

これに感じた稲荷の神様が白狐を派遣して奥州平定を助けたと伝えられています。

樹齢1000年以上の杉のご神木は稲荷神社の象徴です。

志和稲荷神社のHPはこちら

竹駒神社(宮城県岩沼市稲荷町)

842年、小野篁が陸奥国司として赴任する際、京都の稲荷大神に祈祷すると、神様が白狐になって現れました。

その白狐をはこに入れて、陸奥へ向かったところ、この地まで来たところで、突然白狐が飛び出したため、社を建立したとされています。

その後一時衰えますが、1537年に伊達稙宗が再興。以降、伊達家からの庇護を受けました。

竹駒神社のHPはこちら

笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間)

創建は651年と伝えられている関東を中心に進行を集めている稲荷神社。

近世には歴代藩主の崇敬を受けてきました。

笠間稲荷神社のHPはこちら

東伏見稲荷神社(東京都保谷市東伏見)

大正時代末期、関東地方の熱心な稲荷信仰者たちの間で、伏見稲荷大社より稲荷の神のご分霊を頂きたいという強い声が上がりました。

ちょうどその頃、伏見稲荷大社でも、遠隔地に住む信者たちの参拝の便を図りたいという考えがあったため、これに協力。

昭和4年、伏見稲荷大社の分祀として奉斎されました。

東伏見稲荷神社のHPはこちら

玉造稲荷神社(大阪市中央区玉造)

約2000年前の垂仁天皇の時代に創建。豊臣氏の時代から大阪城の守護神として祀られていました。

近年では大阪城築城400年を記念して、境内に豊臣秀頼の胞衣(へその緒を含む胎盤のこと)を祀る胞衣塚(よなづか)大明神を移設。

子供の夜泣きなどに霊験があるとされています。

玉造稲荷神社のHPはこちら

糀屋稲荷神社(兵庫県多可郡中町)

594年に鎮座、857年に現在地に遷座したと伝えられています。

近世には、徳川家康の孫、千姫、その娘で岡山藩主池田光政に嫁いだ督姫が安産祈願をした縁で、千姫から社殿や護摩堂が寄進されました。

太皷谷稲成神社(島根県鹿足郡津和野町)

1773年、津和野藩主亀井矩貞が、京都の伏見稲荷大社からご分霊を頂き奉斎。

歴代藩主の崇敬を受け、明治以降も山陰地方を中心に信仰が広がりました。

太皷谷稲成神社HPはこちら

草戸稲荷神社(広島県福山市草戸町)

807年、空海がこの地に真言密教の令嬢として明王院を創建の際、鎮守神として奉斎されたのが由緒と伝えられています。

近世に入ると、1655年に福山藩主水野勝貞がこの地に社殿を寄進するなど歴代藩主の崇敬をうけてきました。

草戸稲荷神社のHPはこちら

伊豫稲荷神社(愛媛県伊予市稲荷)

1662年造営の桜門は県指定の文化財。

旧暦2月の初午祀りには、無病息災を願う、於多福神面焼祓(おたふくしんめんやきはらい)の神事がある。

祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市古枝)

1687年、肥前国鹿島藩主鍋島直友の妻、萬子媛が、生家である京都の花山院家邸内にあった稲荷神社の分霊を勧請して創建。歴代藩主の尊崇を受け、繁栄しました。

祐徳稲荷神社のHPはこちら

熊本稲荷神社(熊本県熊本市本丸)

「白髭(しらひげ)さん」の名で親しまれる神社。

1588年に肥後に入国した加藤清正が、熊本城の首都として稲荷の神を勧請したのが由緒とされています。

熊本稲荷神社のHPはこちら

高橋稲荷神社(熊本県熊本市城山上代町)

1496年、初代熊本城主鹿子木親員が、上代城鎮護のため、伏見稲荷大社からご分霊を勧請、奉祀したことが始まりとされています。

1541年の落城の際に、焼失しましたが、霊夢により神告を受けた海蔵寺首座義本らにより、1661年に再興されました。

 

ここで紹介した他にも、たくさんの稲荷神社が全国各地にあります。ぜひ、お近くの稲荷神社で、稲荷の神様を参拝してみてくださいね。

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