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【住吉大社の神様の名前】穢れを祓うツツノヲ三神と神功皇后

住吉神社も各地にある神社。全国で2300社あるとされます。

その総本社が大阪にある住吉大社。

お正月になると、たくさんの人でにぎわう大きな神社です。

大阪に観光に行くついでに一度行ってみようという方もいらっしゃるかもしれません。

でも、住吉大社に祀られている神様って、一体どんな神様?

住吉大社に詣でる前に、そこにいらしゃる神様を知り、より神様と仲良くなりましょう。

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ツツノヲ三神と神功皇后がお祀りされている

住吉大社にお祀りされているのは、底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、上筒之男命(うわつつのおのみこと)のツツノヲ三神と、神功皇后(じんぐうこうごう)。

ツツノヲ三神は住吉三神とも呼ばれています。

ツツノヲ三神

ツツノヲ三神は、航海の神様として有名です。

でも、元々は、穢れを祓うこと、即ち厄除けなどに関わりの深い神様です。

ツツノヲ三神は、黄泉の国へイザナミに会いに行ったものの、化け物となった姿を見るや逃げ帰ったイザナキが、海(筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原)で禊をしたときに生まれました。

川の底で身をおすすぎになったときにお生まれになったのが、底筒之男命。

中ほどでおすすぎになったときにお生まれになったのが中筒之男命。

そして、水面でおすすぎになったときにお生まれになったのが、上筒之男命です。

古事記ではイザナキが禊をしたときに生まれた神とされていますが、日本書紀では神功皇后が頭を海水ですすいで禊を行ったときに生まれたとされています。

どちらの説にしろ、禊をする際に誕生しており、穢れを除いてくださる神々として祀られてきました。

これは、夏に行われる住吉祭りは「おはらい」と呼ばれてきたことからも伺い知ることができます。

神功皇后

ツツノヲ三神と一緒に住吉大社でお祀りされている神功皇后は、第十四代天皇の仲哀天皇の后で、朝鮮征伐を行った方です。

このとき、ツツノヲ三神に導かれ、朝鮮征伐を成功させたとされています。

そして、この導かれ方がなかなか過激で面白い。

以下、そのストーリーを紹介いたします。

仲哀天皇の死

仲哀天皇の大后、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)は、神を自分の体に憑依させ、その言葉を伝えることができました。

ある日、仲哀天皇が琴をお弾きになる横で、建内宿禰(たけうちのすくね)が神の言葉を求めると、息長帯比売命の口を借りた神は告げました。

西に国がある(朝鮮のこと。日本書紀では新羅とされる)。その国には金銀をはじめ、様々な珍しい宝がある。今からその国を攻め、わが国に帰属させよう

しかし、仲哀天皇は「西には海しかなく、国などない」と言って、その言葉を信じず、琴を弾くのもやめてしまいました。

すると、神は大いに怒り、「この国はお前が治める国ではない。お前は死の国へ向かえ」と言い放ちました。

この様子を見ていた建内宿禰が慌てて、天皇に再び琴をお弾きになるよう進言し、天皇は再びしぶしぶ琴を弾き始めましたが、時すでに遅し。

間もなく琴の音は途切れ、仲哀天皇は呪い殺されてしまったのです。

朝鮮征伐のお告げの主はツツノヲ三神

仲哀天皇が亡くなり、恐ろしくなった人々は、穢れを祓い、国の大祓をしました。

そして、再び建内宿禰が神に言葉を求めると、前回と同じことをおっしゃり、「西の国を攻めるように」と告げました。

また、このとき、その西の国は、亡くなった仲哀天皇の后である神功皇后の子が治める国であるともおっしゃいました。

建内宿禰が神の名を尋ねたところ、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命だとお答えになり、続いて、どのように海を渡って西の国へ行くかについても告げられました。

神功皇后の新羅遠征

仲哀天皇を亡くし、自分の子が西の国の主になると告げられた神功皇后は、ツツノヲ三神に教えられたとおりに準備をし、いよいよ西の朝鮮半島へ出発しました。

ツツノヲ三神のお告げのお陰で、航海はすこぶる順調。

神功皇后の船を海の魚たちが背負って渡り、さらには強い追い風にも助けられて船はどんどん進み、ついに新羅の国にまで到達できたのです。

そして、朝鮮征伐は成功し、新羅の国王は、天皇の馬飼いとなることを誓い、百済の国は朝廷の領土となりました。

住吉大社の起こり

新羅からの帰路、神功皇后の船は瀬戸内海をさまよいますが、ようやく大阪湾に到達しようとする頃に、再びツツノヲ三神よりお告げを受けます。

それは、「わが魂を大津の渟中倉(ぬなくら)の長峡(ながお)(=現在の大阪市住吉区)にお祀りするように。そこで往来する船の安全を見守ろう」というものでした。

大阪に着いた神功皇后が、このお告げのとおりの場所に神々の鎮座の地を定めようと、辺りを見回したところ、ふと杉の樹が目に入り、その木に三羽の鷲が止まりました。

そこで、この場所こそ大神の心に叶ったところだと、鎮座の地と定めたのです。

これが、住吉大社の起こりです。

この杉の樹は今でも住吉大社の第一本宮と摂社若宮八幡宮の間にあり、石の玉垣に囲まれてあります。

ツツノヲ三神とは星の神々

神功皇后を朝鮮半島への遠征を導いたツツノヲ三神の「筒」とは星のことだという説もあります。

三ツ星と言えば、すぐに思い浮かぶのはオリオン座。

ということで、オリオン座の三ツ星に由来するともいわれていますが、北斗七星の三ツ星のことではないかともいわれており、こちらの方が理にかなっていそうです。

というのも、古代、まだ羅針盤や方位磁針など航路を確認するものがなかった時代、夜の海では人々は、星々を頼りに方角を確認し、航海していました。

地球が公転しているため、星座は季節によって現れる時間帯や方角が違いますが、どんなときも必ず同じ方角にある星があります。

北極星です。

そして、その北極星を見つける手がかりとなってきた星こそ、北斗七星の外側にある三つの星々です。

古代の人々は北斗七星の三ツ星と北極星を頼りに海を渡り、その安全を祈ってきたのでしょう。

ツツノヲ三神の「筒」とは星のことを指すとも言われています。

また、住吉大社の神々=星=スターの神様ということで、住吉大社には芸能人の方々もよく参拝に訪れるのだとか。

「一寸法師」も住吉大社と関係が?!
実は、「一寸法師」は子供に恵まれない老夫婦が住吉明神に祈って授かった子です。
お椀の船にお箸の棹で、住吉の浦から船出して、京に上り、鬼退治をして出世しましたが、これも住吉明神の力によるものだったということかもしれません。
住吉大社ってこれまで、航海の安全の神様というイメージが強く、別に船乗りでもない私が行ったところでどうなんだろう?と思ってたのですが(笑)、禊や厄落としの神様ということ。
頻繁に参拝して、こまめに厄を落とすのもいい気がしてきました。
古い自分を一新して、新しいスタートを切りたいときなんかにもよさそうですよね。
日本には素敵な神様、素晴らしい神様がいっぱいです。
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